バーンガート追悼の碑について

    ~タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼の碑が建立された経緯~

昭和16年12月に大東亜戦争勃発後、援蒋ルートの破譲及びインド独立を目指す日本軍は、インド独立義勇軍と共にビルマに入り、当時イギリス領であったインド北東部の都市=インパールを占領すべく軍事行動を起こした。

 しかし、作戦は困難を極め死者7万人余り(一説には餓死者が10数万人)を出し、ついに昭和19年7月、この作戦は中止となる。その後日本兵は、タイ国メーホンソーン県からチェンマイ県への道を通ってビルマ(現ミャンマー)より撤退した。数多くの日本兵は、更にこの撤退の途中で亡くなり、遺骨や遺品などは撤退路に放置されたままとなった。

 当時、撤退の日本兵に対してタイの人々は暖かかった。食事を与えたり、負傷し傷つきマラリア等の病気に苦しむ日本兵には薬を与えたりした。日本兵も、彼らの村の農作業や子守り等すすんで現地の人を手伝った。そしていつの日からか、日本兵とタイの人々との間には、微笑ましい穏やかな友情が芽生えたのである。
それから年月は流れ激動の時代だった昭和から平成へと年号も変わり、日本人の誰もが、先の大戦の事など忘れて太平の享楽にふけっていた。

平成元年、カンボジア難民慰問の帰りに佐賀県の僧侶及び遺族の一行はチェンマイ県を訪れた。その時会ったタイの老僧よりこんな言葉が一行に投げかけられた。

「ここにはまだ多くの日本兵がねむっている。」「あなた達日本人はそれを省みようともしない。」

「そんなあなた達日本人は人間か!」

老僧の言葉を聞き終えた後、偶然一行の中にいたインパール作戦の参加者が涙ながらに語りだした。

「最初は遺体に土を掛けて通った。」「次は遺体をまたいで通った。」「最後には遺体を踏み越えて通った。」と。

この事がきっかけとなり僧侶と遺族関係者で慧燈財団を設立し、この地に眠る日本兵の遺骨収集活動を開始した。

 チェンマイ県メーワン郡バーンガート サンカヨーム寺の裏にあった井戸(現在バーンガートウィタヤーコム校の敷地)から多くの遺骨が発見されたという事から、慧燈財団は平成5年、バーンガートウィタヤーコム校に敷地を借り、その井戸の上に戦病没者追悼の碑を建立した。そしてタイ・ビルマ方面で戦病死した18千名の日本兵・軍属・関係者の遺骨を納め追悼し、また平成13年には、この追悼の碑敷地内に昭和天皇の御詠が刻まれた大梵鐘をいただく鐘楼も建立した。

 

この地に一人でも多くの日本人が訪れ、祖国の弥栄の為に命を賭して戦争の中で散っていった英霊を偲ぶ事が、ここに眠る18千名の勇士に対するなによりの追悼になるのではないだろうか。

製作・運営

チェンマイ戦没者

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